インクを使って写真表現ができるのを始めて知ったのはフリーのカスタムプリンターとして活動をはじめてしばらく経った30歳代の頃だった。当時寝る暇もなく機械の一部のようになって、仕事としての銀塩プリント作りに追われていた私はふとこんなことをずっと続けていて良いのだろうかと思うようになっていた。そんな時にアメリカの写真雑誌「Aperture」でとり上げられた「Jon Goodman」の「Photogravure:フォトグラビュール」の記事を目にして、ひとつのプロセスに専門的に取り組んでいるプリンターがいることを始めて知った。スティーグリッツ、スタイケン、ストランドから現在の作家まですべてをphotogravureの手法だけを使ってプリントを作る。雑紙の紙面上でしか判断出来なかったがphotogravureが持つそのモノとしての存在感と彼の生き方にくぎつけになった。Jon Goodmanとphotogravureの出会いは自分がプリンターとしてどの方向に向かうべきか大きな指針となる出来事だった。そしていつかJonに会ってphotogravureを体験したいと云う思いがつのっていった。
私は元来モノ・コト・ヒトが存在した証としての「刻印」ということに興味があった。写真を始めたのも、かってそれはそこにあったという「存在の証=刻印されたモノ・コトの記録」の部分に惹かれたからだと思う。自分の中では「刻印=プリント」として捉えていた。プリンターとしてスタートした時に工房につけた名前が「ザ プリンツ」。今振り返ってみると写真のプリントだけではなく、プリントすることそれ自体に興味があったのだということが良く分る。
30年前まだ銀塩写真全盛のころ「プラチナプリント」と出会う。このプリントの持つ、長く見ていても飽きないトーンの深みに心惹かれ今は亡きThe Palladio Companyのマシンコーティングのプラチナプリント制作に没頭した。このときに写真の創成期から銀塩写真に至るまでの道程に数多くの印画法が存在したことを知り写真の歴史を印画法サイドからたどってみる事に興味を持つようになる。
そしてデジタルの登場。化学変化による画像形成とは全く異なる、数値による結像法に始めはなかなかなじめなかった。しかし一方でインターネットの普及によって過去の印画法はすべて情報として手中に収めることが出来ることを知りその可能性に大きな魅力を感じはじめる。そしてデジタルテクノロジーが普及すればするほど、人は手作業の温もり感を求める。結果としてオルタナティブプロセスと呼ばれる、手作業から作り出される各種印画法に興味を持つ人々が増え始める。
そしてプラチナプリントを含むオルタナティブプロセスは日々進化をしてデジタルネガとハンドコーティングの組み合わせでも作成できるようになった。写真に限らずすべての領域で個々を隔てていた垣根が低くなり、時代はクロスオーバーそしてハイブリットの時代に。ひとつの印画法がひとつの時代の主流になると云う時代が終わろうとしている。
これからは写真の印画法も印刷や版画と同じプリントと考えると今までにない面白い事が出来るような予感がしている。面白い事、それが何なのか正直なところまだわからない。でも今の段階でひとつ言えることはアナログとデジタルの融合から生み出されるものになるのは間違いなさそうだ。
今回Jon Goodmanの銅板を使用するフォトグラビュールのワークショプに参加してみて思ったことはアナログだけでもなくデジタルだけでもない、アナログ+デジタルから生み出されるもの作りには大きな可能性があるということを再確認した。その可能性が具体的に何なのかはこれからの作家とのコラボレーションを通してプリント作りの現場で感じていきたいと思っている。
今回のツヨシさんと一緒に体験したJon Goodmanのフォトグラビュールのワークショップ参加は若いころの憧れからスタートしたものだったが、実際に体験してみてプリンターとしてこれからのプリント作りの新たな可能性をいろいろと感じさせられるとても稔り多きものになった。
久保元幸 June 21 2010, Williamsburg MA
きらびやかなグラビュールの銅板
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Photogravure: 銅板の光とインクの匂いを求めて
インクを使って写真表現ができるのを始めて知ったのはフリーのカスタムプリンターとして活動をはじめてしばらく経った30歳代の頃だった。当時寝る暇もなく機械の一部のようになって、仕事としての銀塩プリント作りに追われていた私はふとこんなことをずっと続けていて良いのだろうかと思うようになっていた。そんな時にアメリカの写真雑誌「Aperture」でとり上げられた「Jon Goodman」の「Photogravure:フォトグラビュール」の記事を目にして、ひとつのプロセスに専門的に取り組んでいるプリンターがいることを始めて知った。スティーグリッツ、スタイケン、ストランドから現在の作家まですべてをphotogravureの手法だけを使ってプリントを作る。雑紙の紙面上でしか判断出来なかったがphotogravureが持つそのモノとしての存在感と彼の生き方にくぎつけになった。Jon Goodmanとphotogravureの出会いは自分がプリンターとしてどの方向に向かうべきか大きな指針となる出来事だった。そしていつかJonに会ってphotogravureを体験したいと云う思いがつのっていった。
私は元来モノ・コト・ヒトが存在した証としての「刻印」ということに興味があった。写真を始めたのも、かってそれはそこにあったという「存在の証=刻印されたモノ・コトの記録」の部分に惹かれたからだと思う。自分の中では「刻印=プリント」として捉えていた。プリンターとしてスタートした時に工房につけた名前が「ザ プリンツ」。今振り返ってみると写真のプリントだけではなく、プリントすることそれ自体に興味があったのだということが良く分る。
30年前まだ銀塩写真全盛のころ「プラチナプリント」と出会う。このプリントの持つ、長く見ていても飽きないトーンの深みに心惹かれ今は亡きThe Palladio Companyのマシンコーティングのプラチナプリント制作に没頭した。このときに写真の創成期から銀塩写真に至るまでの道程に数多くの印画法が存在したことを知り写真の歴史を印画法サイドからたどってみる事に興味を持つようになる。
そしてデジタルの登場。化学変化による画像形成とは全く異なる、数値による結像法に始めはなかなかなじめなかった。しかし一方でインターネットの普及によって過去の印画法はすべて情報として手中に収めることが出来ることを知りその可能性に大きな魅力を感じはじめる。そしてデジタルテクノロジーが普及すればするほど、人は手作業の温もり感を求める。結果としてオルタナティブプロセスと呼ばれる、手作業から作り出される各種印画法に興味を持つ人々が増え始める。
そしてプラチナプリントを含むオルタナティブプロセスは日々進化をしてデジタルネガとハンドコーティングの組み合わせでも作成できるようになった。写真に限らずすべての領域で個々を隔てていた垣根が低くなり、時代はクロスオーバーそしてハイブリットの時代に。ひとつの印画法がひとつの時代の主流になると云う時代が終わろうとしている。
これからは写真の印画法も印刷や版画と同じプリントと考えると今までにない面白い事が出来るような予感がしている。面白い事、それが何なのか正直なところまだわからない。でも今の段階でひとつ言えることはアナログとデジタルの融合から生み出されるものになるのは間違いなさそうだ。
今回Jon Goodmanの銅板を使用するフォトグラビュールのワークショプに参加してみて思ったことはアナログだけでもなくデジタルだけでもない、アナログ+デジタルから生み出されるもの作りには大きな可能性があるということを再確認した。その可能性が具体的に何なのかはこれからの作家とのコラボレーションを通してプリント作りの現場で感じていきたいと思っている。
今回のツヨシさんと一緒に体験したJon Goodmanのフォトグラビュールのワークショップ参加は若いころの憧れからスタートしたものだったが、実際に体験してみてプリンターとしてこれからのプリント作りの新たな可能性をいろいろと感じさせられるとても稔り多きものになった。
久保元幸
June 21 2010, Williamsburg MA
きらびやかなグラビュールの銅板